子どもの行動を親が評価するという事は

保育園に、ゆうたを迎えに行った時のこと

その日は遠足で、ほとんどの子供が帽子を持ってきていました。

帰る支度をして、靴を履きにいったときに、同じクラスのD君の腕に、ゆうたの帽子のつばがポンっとあたりました。

すると、D君は自分のかぶっていた帽子を手に持ち、つばの部分でゆうたを叩くのです。

私は、一部始終を見ていましたが、口を出さずにどうするのか見ていました。

ゆうたは、主張します。

「何で たたくと?」

D君 「ゆうたが、ぼうしで たたいたもん。」

あたったことに気がついていないので、本人は身に覚えがありません。なので言い返します。

「ゆうた してないもん!」

すると、D君は、さらにぼうしでたたきます。

でも、反撃せずにゆうたは、主張します。

何度か繰り返すと、ゆうたはだんだん悲しくなってきたようで、半泣き状態に・・・

そこで、私が何事も無かったように、ゆうたに言いました。

「さあ、帰ろうか!」

ゆうたは、半泣きで 「D君がたたくもん・・・」

母 「ゆうたが たたかんでって 言わんね。」

ゆ 「言ったもん!」

D君 「ゆうたが たたいたもん!」   私に言いつけにきました。

母 「D君、 ゆうたは、たたいて無いって言いよるよ(言ってるよ)?」

D君 「だって、たたいたもん!!」

母 「じゃあ、たたかれたら たたき返して いいと?」

D君 「だって たたいたもん!!!」 

母 「たたかんでって お口で 言ったらいいやんね。」

D君 「だって・・・ゆうたが・・・たたいたもん・・・」

これ以上続けても、平行線のようなので、 「お口で 言ってね」 と言って帰ってきました。

後で、ゆうたに 『どうしてゆうたは、叩き返さなかった』 のか聞いてみました。

「だって、痛いもん!」

ゆうたが、「だって 痛いもん」 と言ったその言葉に、お父さんは 「ふーん そうか」 とだけ言いました。

我が家では、そういう行為に対しては、親の評価は加えません。

「偉かったねえ」 とか 「ゆうたが正しい」 とか、極力言わないようにしています。

例えば、今回の 『叩き返さない』 と言う行為。

実際にその現場に親がいることはほとんどありません。

相手が誰なのか? ということでも 話は変わってきます。

年下の子供、年上のお兄ちゃん、大人・・・

状況は? 勘違いした、わざと叩いた、たまたま当った、遊びの延長だった ・・・

状況や、相手によっては 反撃しなければいけないときもあるし、我慢したほうがいいときもある。

ただ、『叩き返さない』 という行為だけを、評価してしまうと

我慢すること イコール 褒められること(善)

と位置付けられることを避けたいのです。

子供は、親に褒められることを やろうとします。

安直に、「やられたら やり返さんか!」 とか 「お兄ちゃんだから 我慢しなさい!」 とか「我慢できて 偉いね」 では無くて、自分で状況判断して、行った行為ということを知って欲しいのです。

もちろん、判断を間違うことはありますが、その積み重ねで、本人が学習していくのです。

大人が、その学びの経験を奪っては、可愛そうです。

大人の価値観を、経験もしていない子供に植え付けてしまうのは、無理があります。

いつも言っていますが、『善と悪』 『暴力と非暴力』 のように、対称的2者択一でなく、褒める、叱る だけでは無くて、ただ聞いてあげるという選択肢も必要だと思います。

まあ、お母さんの独自理論ですから、うまくいくかどうかは、まだ分かりませんけどねえ・・・

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