ゆうたと、ぎゅーってして、心は分かり合えたと思ったのですが、
やっぱり翌日の朝になって、
「きょう、保育園 おやすみよー」
あらら
まあ、そんなに急に変われる訳もなく、軽い登園拒否です。
ダンナと話した結果、今日はダンナのおばあちゃんのところにお願いして、明日、保育園に行かせてみて、相談しようということになりました。
ダンナと色々と話しをしました。
そもそも、どうして私達夫婦が、Q先生のことをちょっと苦手だと感じるのか?
普段の保育園の送り迎えや、懇談会等でしか接しないのに、私達は何を感じ取っているのか?
それは、「パワーコントロール」なんですね。
Q先生が自分達に対して、子供達に対して、力関係を示していることを感じていたのです。
その理由は、色々とあるのですが、細かいことはまた今度書いていきます。
人は、意識的でも無意識でも他人に対して、上下関係を築こうとします。(全ての人ではありませんが・・・)
極端な例だと、
「上司の言うことを聞かないと、昇進できない」 これは、昇進という人質を取って、相手を操ろうとします。
(最近では、パワーハラスメントと言って、多少なりとも問題になっているようですが)
それから、「怒鳴って、子供を叱りつける」 これは、子供に対して、恐怖や愛情を人質に、操ろうとします。
「言うことを聞かないと、嫌いになる」 これも、愛情を人質に、相手を操る方法です。
他にも、人の感情や大事なものを人質に、他人の行動を操ろうとします。
上司と部下、恋人関係、友達関係、夫婦関係、親子関係
大なり小なりはありますが、自分の位置を相手より上に上げて、相手の感情を利用し、自分の都合のいいように相手を動かそうとするんですね。
群れで生きている動物は(例えばサル)は、ケンカをして力関係を示し 強いものがボスになり、たくさんのえさにありつけます。
コレは、生きていくために必要なことです。
本能的に、自分を守るため、生きていくためにはボスには逆らえません。
ですが、人間は違います。
人は相手をリスペクト(尊敬)したり、感謝したり、動物的社会生活ではなく、人間的社会生活の中で暮らしているのです。
だから、本当は人間関係に上下はなく、尊敬しているので、信頼できたり、信じてくれている人がいるので、最後までがんばれたり、人質を取られなくても、人は行動できるすばらしさを持っているのです。
その原動力は、恐怖ではなく、好奇心や愛情、信頼、などですね。
話は、保育園へ戻しますが、
ゆうたに色々な角度から話を聞いて、最近の保育園の様子を思い出し、総合的に判断すると、どうも、Q先生にゆうたはしょっちゅう怒られていて、今まではY先生がゆうたの逃げ場だったのに、Y先生も、Q先生に指導されて、ゆうたのことを助けてあげることが出来なくなり、ゆうたの逃げ場がなくなって、保育園へ行きたくなくなっている。
そんな感じでした。
そういえばここ2~3週間前から、Y先生が全身で、子供に対して愛情表現しているところを見かけなくなりました。
自分の気持ちにブレーキをかけているような・・・。
朝、親と離れる時、クラスの子供達が、泣いている場面によく出くわすようになりました。
ゆうたは、決して要領のいい子ではありません。
行動も、周りの子に比べると少し遅いし、やりたくないことでも進んでテキパキこなせる子でもありません。
でも、人の成長速度だって個性のひとつなんです。
出来るようになるまで、子供が気づくまで、待ってあげるのも必要だし、気づけるように、試行錯誤しながら、興味を引いてみたり、意識を変えてみたり、それが子育てってものじゃありませんか?
他人を変えることは不可能です。
変えようと思えば、パワーコントロールするしかありません。
だから、ゆうたが変わっていくしか道はないんです。
一応、Y先生にはそれなりに話をして、気にかけてもらうようにしますが、将来、学校や社会に出て行ったとき、周りの環境はパワーコントロールだらけです。
その中で生きていくためにも、ゆうたに起こった試練ですね。
人にパワーコントロールされずに、生きていくためには大事なことです。
お母さんは、少しずつフォローしながら、信じて見守っていくしかありません。
それは、放棄ではなく、信頼と、愛情です。
あと、1ヶ月ほどで進級ですから担任も変わります。
それまで、がんばれゆうた。
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